清元の歴史・概要

歌舞伎の伴奏音楽として

清元は豊後系浄瑠璃として江戸時代後期(文化11年・1,814年)に創られました。

浄瑠璃一般としては、もっとも遅く成立した流派で現代人にも共感を呼ぶ洗練された節回し及びリズム感があり深く知れば知るほど感銘を受ける曲調となっております。

創始者は初代清元延寿大夫(1,777年~1,825年)である。

延寿大夫は、初代富本斎宮太夫に師事し、その後二世富本斎宮太夫を襲名したが、富本節を離れ清元の名称を興したのである。

清元の音楽的要素は、豊後節系統の抒情的な艶っぽい風情と唄うような声ののびやかさと語り物的なものとが混在した、きわめて瀟洒かつ粋で軽妙な浄瑠璃といえる。

特に高音を多用する語りは江戸浄瑠璃の精髄を示すものである。
現在松竹の歌舞伎公演には、下記の演目が付随音楽として出演しています。

十六夜 遊女十六夜と修業僧清心との純粋な美しい絵のような道行きものである
浮かれ坊主 願人坊主の舞踊
梅川 遊女梅川と忠兵衛の新口村での親子の別れを抒情的に描く
落人 忠臣蔵のお軽と勘平の道行きもの
傀儡師 人形を使う旅芸人
かさね 実話をもとにした累と与右衛門の物語で清元の名曲
神田祭 江戸の二大祭の一つである神田祭の舞踊曲
喜撰 平安時代の六歌仙の一人である喜撰法師をめぐる華やかな曲
権上、権八下 鳥取藩士の平井権八が遊女小紫と馴染み罪人となり・・
申酉 山王祭を俗に申酉の祭と言ったそうである
三社祭 空から降りてきた善玉と悪玉が漁師に乗り移り踊りだし・・
助六 助六実は曽我五郎が紛失した刀を探している
隅田川 人買いに我が子をさらわれた母が子の行方を尋ね歩き・・
吉野山 子狐が母を慕い静御前の鼓にたどり着き歓喜のあまり・・・
筆幸 筆屋幸兵衛が暮らしに困り子を不憫に思うあまり嘆き狂乱する
保名 桜咲く春景色に狂乱する保名が絵のように美しく舞い悲しむ
吉原雀 客が吉原に繰り出す様を、粋に洒落た曲調となっている
流星 雷夫婦の喧嘩を仕方話で見せるという滑稽な曲
三千歳 三千歳に会いにいく直次郎の凄艶な美しさが漂う名曲

曲目の解説

第3回は、清元「傀儡師」についてお話ししましょう
本名題は、「復新三組盃盞」(またあたらしくみつのさかづき)
通称は「傀儡師」という。
三変化の曲と、役者の三津五郎とその紋の三つ大に因み、また、初代清元
延寿太夫が延寿斎と改名するのを祝して「三組盞」みつのさかづきとしたのである
作詞者 二世桜田治助 作曲者初世清元斎兵衛である。
初演は文政7年(1824年)江戸市村座である。
傀儡師は、「くぐつ」とか「くぐつまわし」ともいわれ、人形を使う旅芸人
で、すでに平安時代にもいたことがわかる。
箱から取り出した小さな人形を手で使いながら、伴奏なしに唄ったり、語ったり踊りもした。
江戸では「山猫」京都では「紗の紗のころも」と呼ばれた。
一種の大道芸人である。
この曲は傀儡師の由来が語られたあと、八百屋お七、牛若と浄瑠璃姫、舟弁慶などが物語られる。
この浄瑠璃は変化に富んだ軽妙なシャレたもので、チョボクレの文句を八百屋物の縁語で綴ったり、お七吉三の色模様、牛若丸浄瑠璃姫の物語、舟弁慶の切りの部分を詠み込んだりしている。
「蓬莱の島は」から「紗の袴よのう」までは「鼓唄」という格調の高い出だしからはじまり「古き合点でそのままに」までの部分は「置浄瑠璃」という。
まだ登場人物が現れぬ前の序の部分である。
「小倉の野辺の」から踊り手が登場し、「三人持ちし子宝の・・・」は
外記節にあるが、清元では三人の性格を変えて使っている。
三番息子を八百屋お七の恋人にふさわしくする必要から「色白で、お寺小姓にやり」と改作している。
「見る目可愛き」から「誓いし縁結び」まではお七のクドキであり、美しい情緒的な旋律の聞き所である。