清元「柏の若葉」

曲目の解説

第4回は、清元「柏の若葉」についてお話ししましょう

  本名題は、「寿祝柏の若葉」(ことぶきいわうかしわのわかば)
 略称は「柏の若葉」で、清元の定紋の「三つ柏」に因んでの名前である。
 なお、清元宗家は、現在「三つ瓢箪」を定紋としている。
  この浄瑠璃は、明治27年9月正式に家元を相続した五代目延寿太夫が
 明治30年6月20日両国中村楼五世延寿太夫の家元襲名披露に、「青海波
 」と共に封切りされたものである。
  花鳥風月にこと寄せて、延寿太夫が家元を相続するようになった次第と、
 清元の繁栄を祝う品の良いご祝儀曲です。
  この曲は、ゆっくりとした遅間で「その蝉桐」以下の口説きは特に緩徐に
 語ります。
  フシ〈節〉も三味線も類型を避けた旋律が工夫されていて、やさしくない
 曲といえます。

清元「梅川」

第2回は、清元「梅川」についてお話ししましょう 本名題は、「道行故郷の春雨」(みちゆきこきょうのはるさめ)

通称は「梅川」という。 文政7年(1.824年)3月江戸市村座「冥土の飛脚」の新口村の段の道行浄瑠璃として使われた。 豊後系浄瑠璃としては、富本の「道行恋飛脚」を清元に直したのが、この曲である。

内容は、大阪淡路町の飛脚屋の亀屋の養子忠兵衛と新町の遊女梅川との事件を脚色して人形浄瑠璃としたのが、近松門左衛門の「冥土の飛脚」である。 (1.711年の作)

常磐津「道行情三度笠」富本「道行恋飛脚」清元「道行故郷の春雨」新内「傾城三度笠」はいずれも外題は異なっているが、義太夫の「傾城恋飛脚」が底本で、新口村の段の歌詞をそのまま使い江戸で豊後系の浄瑠璃として上演したものである。

亀屋の養子忠兵衛は、遊女梅川と馴染んだあげく、為替の金300両を横領、使い果たしてしまう。 故郷の新口村にいる実の親に雪の中、会いにいくが、養父に対する不孝の罪を悔いて嘆く。そのような目にあわせたのも、罪人にしたのも、みんな私のせいと梅川は忠兵衛に許しをこう。 忠兵衛は、罪を犯した今の身で親に会うのは不孝、故郷で死んで、生みの母の墓所へ、一緒に埋めてもらい、未来で、嫁舅の対面をさせたいという。梅川は、それは嬉しいが、京都の母に一目逢って死にたいと涙にむせび泣く。 とその時、忠兵衛の実父孫右衛門が通るのを見かける。 梅川は愛する人の父孫右衛門に対し、これが見始めの身納めと、遠くから心からの挨拶をし、お詫びする。 忠兵衛も親子の最後の別れに、血の涙を流しつつ、心残して別れ行く と曲は余韻を残して終わる。

{注 釈}

平沙のうとう血の涙・・・平沙に子を生みて落雁の、はかなや親を隠すとすれど うとふ(善知鳥) と呼ばれて、子は安方と答えけり さてぞ取られやすかた、うとふ、親は空にて血の涙を流す・・・母鳥の鳴き声、うとふを真似て子鳥に声をかけ這い出るところを捕らえると、それを見て母鳥は、空から血の涙を流す。という意味である。

 

清元「十六夜」

曲目の解説

今回は清元「十六夜」についてお話ししましょう。

本名題は、「梅 柳 中 宵 月(うめやなぎなかもよひづき) 主人公の名を略称に使って「十六夜」または「清心」という 初演は、安政6年(1,859)2月の江戸市村座の興行に上演された黙阿弥 物「小袖曽我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)の第1番目4立目の浄瑠璃 として作られたものです。 鎌倉の極楽寺の所化(修業僧)清心は、大磯の遊女十六夜と馴れ初め女犯の罪で追放される。稲瀬川の堤へ来かかった清心は、折から廓を抜けてきた十六夜と逢う。 十六夜はどこえなりと連れて行ってくれと頼むが、清心はそれを断り、京へ上って修業したいという。 どうしても聞き入れてくれないとあきらめた十六夜は、身を投げて死のうとしたので、これを引留め、清心の子まで宿していることを知り、共々に死のうと決心した二人は、凍る夜寒の川淀へと・・・

“ この世で添はれぬ二人が悪縁、死なうと覚悟極めし上は少しも早う”

と曲はここで終わっています。 このあと、清心は死に切れず、川から這い上がり、十六夜も川下で悪人に助けられ、後の幕で鬼薊の清吉とお小夜という悪人になります。 この浄瑠璃は、朧夜に星の影さえ二つ三つ~と美しい絵のように始まり 「今更言うも愚痴ながらから、うらみ嘆くぞ誠なる」までが十六夜のクドキとなり聞きどころとなっている。

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