第2回は、清元「梅川」についてお話ししましょう 本名題は、「道行故郷の春雨」(みちゆきこきょうのはるさめ)
通称は「梅川」という。 文政7年(1.824年)3月江戸市村座「冥土の飛脚」の新口村の段の道行浄瑠璃として使われた。 豊後系浄瑠璃としては、富本の「道行恋飛脚」を清元に直したのが、この曲である。
内容は、大阪淡路町の飛脚屋の亀屋の養子忠兵衛と新町の遊女梅川との事件を脚色して人形浄瑠璃としたのが、近松門左衛門の「冥土の飛脚」である。 (1.711年の作)
常磐津「道行情三度笠」富本「道行恋飛脚」清元「道行故郷の春雨」新内「傾城三度笠」はいずれも外題は異なっているが、義太夫の「傾城恋飛脚」が底本で、新口村の段の歌詞をそのまま使い江戸で豊後系の浄瑠璃として上演したものである。
亀屋の養子忠兵衛は、遊女梅川と馴染んだあげく、為替の金300両を横領、使い果たしてしまう。 故郷の新口村にいる実の親に雪の中、会いにいくが、養父に対する不孝の罪を悔いて嘆く。そのような目にあわせたのも、罪人にしたのも、みんな私のせいと梅川は忠兵衛に許しをこう。 忠兵衛は、罪を犯した今の身で親に会うのは不孝、故郷で死んで、生みの母の墓所へ、一緒に埋めてもらい、未来で、嫁舅の対面をさせたいという。梅川は、それは嬉しいが、京都の母に一目逢って死にたいと涙にむせび泣く。 とその時、忠兵衛の実父孫右衛門が通るのを見かける。 梅川は愛する人の父孫右衛門に対し、これが見始めの身納めと、遠くから心からの挨拶をし、お詫びする。 忠兵衛も親子の最後の別れに、血の涙を流しつつ、心残して別れ行く と曲は余韻を残して終わる。
{注 釈}
平沙のうとう血の涙・・・平沙に子を生みて落雁の、はかなや親を隠すとすれど うとふ(善知鳥) と呼ばれて、子は安方と答えけり さてぞ取られやすかた、うとふ、親は空にて血の涙を流す・・・母鳥の鳴き声、うとふを真似て子鳥に声をかけ這い出るところを捕らえると、それを見て母鳥は、空から血の涙を流す。という意味である。